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空気
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実はこのブログはけっこうな人が見ているらしい。

正直ニンジャツールズのアクセス解析が死ぬほど使いにくい分かりづらいので、今では使っておらず、その辺はサッパリわからんのだ。


まぁ社長がちょっとだけ驚く、というくらいに見てる人がいるらしい、ということだそうだ。よくわからんのは大して変わらん。



しかし一体このブログの何が楽しくて見てる人がいるのだろうか。イワサキは独立したしくぼっちゃんは書く気配が皆無だしタッキーはログインできないし。

といっても俺の書く科学ネタがそんなに面白いとも思えない。



大体思ったのはNBC兵器、クローン技術、ショタコン、プラトン、ソクラテス、デカルト、人間機械論と2元論の対立……という一際マニアックな記事ばかり書いているこのブログは、元来もっとアングラであるべきなのだ。


まぁ今のネットでアングラというとあまりにも広範囲過ぎるのではあるけど…。

ひとまずこのブログはもっとマニアックでコアで熱狂的で狂信的でとりあえず狂ってたりキチガイだったり妄信的でもっと宗教的であるべきなのである。



今更ではあるけど確認する。

科学は宗教である!



科学は万人に共通でありその信仰心に関わらず科学の厳密に調律された普遍性は一定である、というのは過去の科学の概念なのだ。

心が無い、というのも一つの解釈であって、心が有る、と解釈する方法もある。

むしろその方が人道的で、感覚的に馴染みやすいだろう。


しかし科学を信仰する私はそれを否定しているのは、単純にココロというのを考えるのが面倒臭いだけなのだ。

ココロがあっても無くても地球は回るし、大脳は電気信号を体中に送っているのである。


あってもなくても変わらないんなら、無いと考える方がカンタンで合理的である、というのが私の理屈なのである。

たしかに「ある」と考えてそれを科学的論理的に考えるのも、それが科学に抗う行為だとは言えないし、そういう研究も本人が望んでいるのなら実に有意義なものだと思う。

しかし、私達は心とかゴーストとか古典的なものを考えるよりも、もっと楽しくて面白い物が沢山身の回りに転がってるわけなのだ。例えばオナニーとかさ!



だからみんなもテストの勉強とかしてないで有意義なオナニー的行為をしよう!

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