空気
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ぶっちゃけて言えば、死というモノは存在しない。
死とはそこらの人間の使う基準は、「息をしない」「心臓が止まってる」「瞳孔の対光反射が無い」の3つ揃えば、とりあえず死んだ、ということなようですがそんな個々の問題ではない。
生物の本体はDNAとは以前言ったような言ってないような、まぁ要するにDNAやRNAが生命を保持しているという話ですが、その観点から言うとこの辺は滅茶苦茶スゴイ話になってくるわけです。
えっと地球で言う生命は今から数十億年も昔に自然発生した当時は比較的単純な有機化合物だった。そりゃタンパク質に毛が生えた程度のものだったらしいから、今の生物とは考えられないほど単純であった。
その辺を物理や数学を絡めて話すと散逸構造論といって、極々小規模で考えた場合エントロピーが減少する可能性が僅かにある、ということから、とんでもない確率でそいつらは地球上に発生したわけです。
で、まぁこの辺から本題なわけだけど、要するに生命とは持続する力なんです。
生命は色々と進化したり文明を持ったりしてるんだけど、これは各々の個体が種の発展を願ったり幸福を欲したり、といったレベルの話ではなく、DNAの命令によるものだったわけです。結果論なんだけどね。
生命は進化したり文化したりと、初めはただのタンパク質だったのが色んな形になって、それが今の我々になったわけですが、形はすっごく変わってるのにDNAという形だけは維持されてるのです。
DNAを保持するのに必要だったのは多様性です。
別に地球が季節も天気もなしでなーんも変わらないような一定した環境だった場合、自分のクローンを作って増殖する単純な単細胞生物で構わなかったのですが、地球の環境は常に変化しました。
最初の生命が自然発生してから海がぜーんぶ蒸発したり、逆に全てがカチカチに凍りついたり、ともかくスゴイことばかりでした。それでも昔の生命はしぶとく、地殻の深いところまで潜っていって生き延びたりと、まぁ全滅することなく生き続けました。
ま、そういう風に色々あって、生命は有性生殖というものすげえカッコイイ増殖&多様性ゲットの方法を編み出したわけです。スゴイよね。
なんか書くのめんどくさくなってきた。多分この調子でいくと結論まで数百行に及ぶかもしらん。それは面倒臭い。
と、言うわけで生命は進化したりイロイロあったんですが、何のために進化する必要があったのか。
それはですね……DNAが生き残るためだったのだ!
大体個々がよい暮らしを求めたってそんな急に進化したりするわけがない。
有性生殖による遺伝的多様性によって個体差が生まれたり突然変異によってみょうちくりんな生き物がわんさか生まれて生きるのに適した生命が生き残ったり、というのも、その個々の生命にとってはかなりどうでもいいのだ。
首の長いキリンが生き延びて首の短いキリンが衰退したとしても、それは首の長いキリンがただ単に合理的であったから生き延びただけであり、それが進化と呼ばれる。
うーんワケワカラン。またとばします。
つまり、自然に、つまり合理的にコトが進んだ結果一番力を持ったのが人間で、結果としてDNAはただ生き永らえたかっただけ、という単純なDNAの欲望がそこにあるわけです。
そしてこの論理に死という概念は存在しない。むしろ地球上の生命の全滅が生命の死とでも表すべきか。
というのは、死とはDNAという記録の伝達が行われることであり、生命の本質であるDNAは昔っから延々と生命の細胞内でせっせと生体物質を作ったり花粉や精子や卵を作って、生き続けているわけです。
とどのつまりこういう結論に至るわけです。
生命は死んでいない! 死は未だかつて存在していない。
と。
宇宙はなんと合理性に支配されていることか…わかりやすくて実にけっこうです。素晴しい!
この摂理に反することが人間の尊厳であるとか思ってる奴、狂ってるんじゃない、とか思うね俺は。
まぁどっちも宗教なんだろうけど…俺は人間よりも宇宙に近い宗教を選ぶぜ!
話は変わるけど、最近生活文化でアレだよね、障害者がどうとか下らないことやってるよね。「障害者は社会的に健常者と何ら変わらない」なんて言ってもね、障害者は障害者なんですわ。正論なのは良いんだけど詭弁スレスレなんですその理屈は。
「障害者と障がい者」とか言葉遊びやってるのはもはや論外なんですが、やっぱり喋れない人は喋れなくて自分で息できない人は息できないんです。要するに調子乗んなってことです。
個人的には障害者高齢者問わず全員撲殺がいいと思うのです。それが世のため人のため。
まぁ現実的には出来ないだろうけど、まぁそれを対象としたビジネスが成立していれば別に問題ないと思います。
死とはそこらの人間の使う基準は、「息をしない」「心臓が止まってる」「瞳孔の対光反射が無い」の3つ揃えば、とりあえず死んだ、ということなようですがそんな個々の問題ではない。
生物の本体はDNAとは以前言ったような言ってないような、まぁ要するにDNAやRNAが生命を保持しているという話ですが、その観点から言うとこの辺は滅茶苦茶スゴイ話になってくるわけです。
えっと地球で言う生命は今から数十億年も昔に自然発生した当時は比較的単純な有機化合物だった。そりゃタンパク質に毛が生えた程度のものだったらしいから、今の生物とは考えられないほど単純であった。
その辺を物理や数学を絡めて話すと散逸構造論といって、極々小規模で考えた場合エントロピーが減少する可能性が僅かにある、ということから、とんでもない確率でそいつらは地球上に発生したわけです。
で、まぁこの辺から本題なわけだけど、要するに生命とは持続する力なんです。
生命は色々と進化したり文明を持ったりしてるんだけど、これは各々の個体が種の発展を願ったり幸福を欲したり、といったレベルの話ではなく、DNAの命令によるものだったわけです。結果論なんだけどね。
生命は進化したり文化したりと、初めはただのタンパク質だったのが色んな形になって、それが今の我々になったわけですが、形はすっごく変わってるのにDNAという形だけは維持されてるのです。
DNAを保持するのに必要だったのは多様性です。
別に地球が季節も天気もなしでなーんも変わらないような一定した環境だった場合、自分のクローンを作って増殖する単純な単細胞生物で構わなかったのですが、地球の環境は常に変化しました。
最初の生命が自然発生してから海がぜーんぶ蒸発したり、逆に全てがカチカチに凍りついたり、ともかくスゴイことばかりでした。それでも昔の生命はしぶとく、地殻の深いところまで潜っていって生き延びたりと、まぁ全滅することなく生き続けました。
ま、そういう風に色々あって、生命は有性生殖というものすげえカッコイイ増殖&多様性ゲットの方法を編み出したわけです。スゴイよね。
なんか書くのめんどくさくなってきた。多分この調子でいくと結論まで数百行に及ぶかもしらん。それは面倒臭い。
と、言うわけで生命は進化したりイロイロあったんですが、何のために進化する必要があったのか。
それはですね……DNAが生き残るためだったのだ!
大体個々がよい暮らしを求めたってそんな急に進化したりするわけがない。
有性生殖による遺伝的多様性によって個体差が生まれたり突然変異によってみょうちくりんな生き物がわんさか生まれて生きるのに適した生命が生き残ったり、というのも、その個々の生命にとってはかなりどうでもいいのだ。
首の長いキリンが生き延びて首の短いキリンが衰退したとしても、それは首の長いキリンがただ単に合理的であったから生き延びただけであり、それが進化と呼ばれる。
うーんワケワカラン。またとばします。
つまり、自然に、つまり合理的にコトが進んだ結果一番力を持ったのが人間で、結果としてDNAはただ生き永らえたかっただけ、という単純なDNAの欲望がそこにあるわけです。
そしてこの論理に死という概念は存在しない。むしろ地球上の生命の全滅が生命の死とでも表すべきか。
というのは、死とはDNAという記録の伝達が行われることであり、生命の本質であるDNAは昔っから延々と生命の細胞内でせっせと生体物質を作ったり花粉や精子や卵を作って、生き続けているわけです。
とどのつまりこういう結論に至るわけです。
生命は死んでいない! 死は未だかつて存在していない。
と。
宇宙はなんと合理性に支配されていることか…わかりやすくて実にけっこうです。素晴しい!
この摂理に反することが人間の尊厳であるとか思ってる奴、狂ってるんじゃない、とか思うね俺は。
まぁどっちも宗教なんだろうけど…俺は人間よりも宇宙に近い宗教を選ぶぜ!
話は変わるけど、最近生活文化でアレだよね、障害者がどうとか下らないことやってるよね。「障害者は社会的に健常者と何ら変わらない」なんて言ってもね、障害者は障害者なんですわ。正論なのは良いんだけど詭弁スレスレなんですその理屈は。
「障害者と障がい者」とか言葉遊びやってるのはもはや論外なんですが、やっぱり喋れない人は喋れなくて自分で息できない人は息できないんです。要するに調子乗んなってことです。
個人的には障害者高齢者問わず全員撲殺がいいと思うのです。それが世のため人のため。
まぁ現実的には出来ないだろうけど、まぁそれを対象としたビジネスが成立していれば別に問題ないと思います。
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