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いやね、人がダレカを好きになる、つまりセックスしたがるのはDNAの命令によるもので自己保存本能という有性生殖の生物が絶対に持っている機能の一つなわけです。細胞分裂でじゃんじゃん個体数を増やすやつはいいけど。
んでまぁホモとかバイとかあとはレズビアンなんかってのは要するに彼らは病気なので生まれつき脳が壊れてたりトラウマで異性が受け入れられなかったりと、後天的先天的問わずに精神的問題なわけです。まぁ脳の病気です。ちなみに心の病気とかいう表記は駄目です。
ここまではいい。簡単でわかりやすい。さてここからが難問になるわけですが今の所重大な疑問は一つ、
何故クワマンだったのか
ということだ。ぶっちゃけクワマンじゃなくても、他の誰でも良かったのだ。クワマンは確かに見てくれは悪くないし良い奴ではある。しかし先天的に飛びきり可愛いルックスを持っているわけでもないし、性格においてもクワマンが他の人間を超越した何かを持っているわけではない。つまりクワマンには俺が好意を抱くに納得できる決定打が存在しない。
しかしこの評価はあくまで客観的な評価だ。俺がクワマンを好きになったのはもちろん主観的評価である。
だから俺がクワマンを気にいったのは客観的判断、つまりデータなどの実績や科学でわかるものではなく、個人のある意味「気まぐれ」に生じた結果に過ぎない。その気まぐれに必然性があるとすれば、少なからず俺にも俺のゴーストが囁いてると表現できる。俺の好意が「クワマンの持つ、個性」に対して働いてるものだとするとまとまるかもしれないが、何故クワマンの持つ個性をもって俺が「カワイイ」と思うかは依然として謎である。
ではその「気まぐれ」とは一体何なのか。…今更だがこの気まぐれという表現は正しくない。確かに偶然である可能性も捨てきれないけど、必然であるという証拠も無いのだ。
ま、いいや。これ以上理屈こねるのメンドイから。まぁこの世の中面白いものは面白いし、うまいものはうまいし、カワイイものはカワイイんだよね。「この私」が持ってる意識ってのは確かに絶対的な価値観だよ。ただその主観的評価がどういう意味を持っているのか考えると科学なり理科なり信仰せざるをえない、と思うわけだ俺は。でもこの判断も主観なんだなぁよくわかんねえなぁ。
んーまてよ、誰かを好きになるって別にDNAにとっては誰でも良い(ただし健康でかつ妊娠可能な者)わけだから、問題になるのは「誰を」の部分か。
てか俺、何を考えても「ニンゲンわけわかんねえ」で終るな。クワマンはカワイイな。