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悪乗りしすぎです。本当にゴメンナサイ。


まあ面白い体験ができたので例のメモはそのうち公開したいと思います。




これは何度も繰り返してるんだけど、アレは全部正気を保っています。しかも結構覚えています。

意識的、論理思考的な働きは持っているんですが、それを表現する部位、特に小脳のような運動野(これによりろれつが回らなくなる)、それに三半規管を司る部位(調べてないから場所はわからん)などが特別に機能を失うことがわかりました。

記憶に関しては部分的に無い所もありますが(多分寝ていたんだと思う)、数時間にわたって特別重大に記憶が欠落しているわけではない。量がまだ少なかったのかもしれません。


言葉で表すと、理性や自制心といった感情が確実に不能になります。理屈ではダウナーなので興奮効果は無く、それらの機能を抑えこむことによってあのテンションを作っていると思われます。


ちなみに女子の誰かに言われたのですが「あれが本当のssn先輩なんですか」と。

これについては違います。いやそうですよと言っても間違ってはいないんですが、大体人間の表層的な意識というのは心理学的には脳に発生している総合的意識うちの1割程度しか現れていないんです。大脳新皮質の一つの機能としてそれらの意識を必要なものと不必要なものに判別し、必要なものだけを一般的な「意識」として表しているわけです。

つまり我々の体感的意識というのは本来あるそれの極一部でしかないということです。これは心理学や大脳生理学における常識です。

サイケ系やダウン系のドラッグはその機能を抑えることによってあらゆる意識を体感的に具現化させる作用があり、特に幻覚剤などを使った場合幻覚や幻聴が聴こえるようになれるわけです。

素晴しいね。本当にこれは素晴しいよ。

この現象は、我々はその感情含めて「物質的」存在であることを示している。



つまりこれは私の理論を裏付けているわけですよ。

まぁ「当たり前」なんだけどね…

その物質的存在としての我々に霊・魂・ゴースト的な「何か」が宿るかそうでないか、というのはまったく別の話なわけです。そしてそれを信じるか信じないかというのも個人の勝手なんです。科学も宗教の一つなんです。ポパー哲学的に言えば。だからこの話全て嘘である、と判断されてしまえばそれでオワリなんです。


私は実証主義なので、物質的存在としての我々は信じますが、二元論的な理屈に対して懐疑的にならざるを得ないのは当然です。



要するにオモシロイからやってるだけなんだよね。

オモシロイかそうでないかで進路とか仕事とか人生とかが決められるっていうくらいなら、我々にもある程度の自由が認められていると判断するのもやぶさかではない、と私は判断します。





一応書いとくんだけど別に酒とか飲んだわけじゃないからね!!11

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