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マヤ「初号機のシンクロ率が400%を超えt こういうのは即効でやらないと面白くナイわけだな
イノセンス㊤
上のつづきです。さて何故確認というタイトルがついているのか…。
要するに、この事実を前提としてこの上に更なる論理が積み重なるから、なわけです。
生命には命とか、タマシイとか、意識とか、そういうものは無いんです元から。そういう宗教的なこじつけは現代には必要無い。
しかし、デカルトの言う通り自分という疑問を持っている存在にだけは確証が持てるはずです。
んで、ここから少し面白くなるんだけど、自分のことはともかく、他人はどうなのか。フフフここがデカルト流儀で一番面白くなるところだな。
ぶっちゃけ言えば他人を信じるも信じないも自分しだい! むしろ人であるかどうかさえ決めるのも自分なんです。自己本位なんていう生温い概念ではありません。
なぜなら、自分は他人じゃないから、他人が本当に疑問を持つという自我の性質を持ちうるかはわからんのです。そこで普通の人は人と呼べるかどうかさえ分からないその事物を「人に見えるかどうか」で判断しているわけです。
げんしけんでも出てましたが、人は記号や特定の要素で人と、判断しますからチューリングの名前を出すまでもなく、本当に他人に自我があるか、それは自分の判断で決まるわけです。すばらしいでしょ。
何が素晴しいかというと、それならば通常人と判断されないものについても色々と決めることができるんです。宇宙的自慰と言ってもいいでしょう。人形に自我があると判断すれば、それはあるんです。愛用の楽器やパソコンに自我があるとすれば、それはあるんです。素晴しいでしょう。
単なるキチガイ理論かと思いきや、この理屈においてはコンピューターウイルス的生命に関して中々面白いことになります。まぁこの辺はけっこう進んでて「今更」なネタなんだけどね。というよりチューリングテスト云々やってる時点ですでに生命に関する昔ながらの概念は消し飛んでるんだけどね。
ま、色々あったけど、まとめれば生命はDNAに支配されている存在に過ぎないわけです。人間がその停滞した状況から抜け出すには、DNAの支配する肉体を捨て、違うカタチになるしかない。全人類がジュースになるのもそれの1つの選択肢なのでしょう。俺はゴメンだけどな。ジュースになるくらいならクワマンをオカズにして一発やってから死んでやるぜ。全人類電脳化して全ての人間の記憶とゴーストを共有、というのも駄目だ。まあちょっと違うけど鋼鉄の体に生まれ変わるというのも悪くはないと思う。
さあ議論したい奴は集まれ!
ところで卒論の内容ってなんでもいいんだっけ?