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空気
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※管理人ssnはブログのカウント数があまりに増えすぎているのを懸念し、再度当ブログ当管理人がささやかなアングラであることを世間に知らしめる必要があると感じたのである。基本的に、一般受けしないネタを書けば必ずアクセス数が減るからだ。いやむしろ一日中レコーディングに関するサイトを読み漁り脳を酷使した結果ブチ壊れてしまったのであろう。


↓目の保養にどうぞ※本文とは関係ありません。
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アッハッハ!世の中の大半の人間たちは自信の肉体はもちろんその精神や意思さえ「DNA」と、それより更に上の階層である「自然」というルール、それらに支配されてることに気付かない。知ろうとしない。そして認めようとしない。

そんな風に考えるように人間は作られるのだから当たり前といえば当たり前なのだろう。


面白い!面白いね!やっぱりニンゲンというのが一番面白い!

我々のこの恍惚とした感情や怒りといった感情も極めて電気的化学的生理的なものだ。

聴覚も視覚も触覚も!肉体というぶよぶよした不気味に柔らかく極めて精密な物理的な感覚器を通して得られる電気的エネルギー・化学的エネルギーに過ぎないのです。

そしてその物理的な存在でさえ、特定のエネルギーを通して認知しているにすぎない。

これは逆もしかりです。我々が体を動かすのも、また極めて合理的な物理的で化学的な反応なわけだ。



極論してしまえば人間がこの世にいる可能性すら証明できないのである!

自分は本当は脳味噌だけになっていて定量の養分と電気信号を入出力しているだけのニューロンの塊になっているにも関わらず、脳はその状態を認知できない。そりゃそうだ脳には感覚器が無い。



ならばそうではないことを君達は証明できるか!


否である!断じて否である!



だから問題になるのは、我々がどう思ってどう行動するかしかない!

ぶっちゃけ言えばその営みさえとある存在の支配下に無い可能性は皆無であるが、我々はとりあえず好き勝手に何でもやれる権利がある!



つまり言えば、我々は我々を信じるということしかできないのだ。

わかるかね、そう、とにかくよくわからないけど自分を信じて人間を信じるくらいしか我々はできないのだ!



日本はとっくに科学の時代合理思考の時代である!

ただ合理方法の時代とは少し違うかもしれないが。
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