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空気
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大体アンサンブルってヤツは録音よりもホール行って聴いたほうがいいんだけど…。



www.fan.hi-ho.ne.jp/t-ohshima/saku.htm

サックスアンサンブルとかいってもナメないほうがいい。

一応これ全部一発録りだから咳とか入ってたり拍手のタイミングが早かったりしててアレだけど…。



キャラバンの到着とリバーダンスシリーズが鉄板です。まじおすすめ。両方ともクラシックじゃないけど。



あれなんだよ、サックスは管楽器の中でも唯一バイオリンのたぐいと並ぶ「ある能力」を持ってる楽器なのです。

その能力というのがその表現しづらいんだけど表現力というか響きというか音色(ねいろ)というか、そういうもん。でもその分使い手を選ぶ楽器ではあるわけサックスは。俺も昔は上手かった。

なんだかんだ言って『吹奏楽部員』という人達は楽器が上手い。まぁ奴等は上手いだけなんだけど。




ちなみにここからマニアックな話になるけど、一回横ブラのサックスアンサンブルを聴いたことがあるんだけど、あそこのサックスパートはマジでヤバイ。旨いとかそういうレベルじゃなくて、サックス10本でこうimageとかvisionが湧き上がる感じ。俺のボキャブラリでは表現しきれない。





てか今思ったんだけど曲を説明するのって原理的に不可能なんじゃないか?

なぜって曲ってのは物理的に考えてもあらゆる波形・音程・グルーブというのが有りえるし、抑揚には奏者の意識が宿ってるとも考えられるんだろ。

つまるところ芸術は理屈でうだうだ言うもんじゃなくて、感じることが大事、ということ。あったりめーだけど


ま、ピタゴラス音階やら平均律、純正律や、それに録音、再生、保存技術などテクノロジーを要する場面もあるけど、それらが何を支えているかというと人間が感じてることなわけだ。


やっぱりどう考えても人間ってのはわけがわからないなぁ
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とりあえず21日にでかぶるのドラムの録音する予定になったことを連絡して起きます。クリックで録音します。けど個人練習で予算が多少浮くのでマイクレンタルします。高いヤツ。

しかもこれ決めてから気付いたのが、ピアノとかベースのトラックを考える必要が無いから、MTRでドラムに8トラック使えるということ。手間かかるけどいい音録れるかもしれん



あ、話変わるけど昨日(まぁ正しくは一昨日)にクワマンにまた差し入れ持っていった。以前差し入れ持ってくるんじゃねえってメール来てたけど、せっかく作ったから持っていった。でも下手するとあの後捨てられたかもしれん。




ここで考えたけど、あの時クワマンが貰った後、喰うか燃やし捨てるかは自由で、もちろんクワマン自身じゃないこの俺にはそれが本当にどうなったかわ分かったものではない。

しかし、その理屈の裏を返せば、俺もその差し入れに毒なり薬なり仕込むことも可能で、それもまた同じくクワマンには全くわからないことなのだ。


滅茶苦茶当たり前のことを言ってるけど、少なくともこの理屈は正しいはずだ。


そしてこれが面白いのは、ゲーム理論と互いの心理を踏まえて考えた時である。両方考えるのは面倒なので、例えば俺からの視点で考えるとする。


この関係は2段階で考えられる。つまり「俺がケーキを作る」ということと、「クワマンがそれを受け取って食べる」ということだ。

ケーキを作るには金と時間と労力が必要だが、俺はクワマンに差し入れしたいという欲求から生まれるので、結局は俺は「得する」ことになる。つまり俺がクワマンに差し入れするという行為は+1とできる。

クワマンはケーキを食べられるので、生理的に考えれば「得をする」ことになる。これも+1とできる。


ここで例えば俺が「クワマンを洗脳しようというような悪意」を持って、ケーキに何らかの薬物を仕込んだ場合、俺の利益は計り知れないものとなる。それは他人を自分の意のままにできるってんだから当然だ。しかも媚薬や毒薬など様々な手段が考えられるので、+される幅は様々で、無限に近い。+∞

差し入れが通常のものであった場合、俺の単純な欲求が満たされるだけなので利益は少ない。当然利益は大きい方がいいので、本来ならば俺はそれらのうち前者の方法をとるべきである。つまり理論的に考えれば、薬を盛る意外にはない、と。

しかし俺はそうしない。なぜかというと、その手段を取る場合クワマンが得をしないからだ。もちろんケーキに含まれる栄養分を摂取できるのは変わらないが、薬を盛られることで一定の自由意志を奪われることになる。それは大きな損害だ。フグ毒などで仮死状態にされた後洗脳されて(自粛)されるくらいなら兎も角、冷凍餃子よろしく神経毒なんかを一定量仕込まれたら即死です。間違いなく。これもやはり損害は無限に近い。-∞


普通の差し入れを渡してクワがそれを食べる場合、俺が+1でクワが+1。

普通の差し入れを渡してクワがそれを食べない場合、俺が+1でクワが±0

毒物な差し入れを渡してクワがそれを食べる場合、俺が+∞でクワが-∞。(てかやっぱ∞は大げさか)

毒物な差し入れを渡してクワがそれを食べない場合、俺が-1でクワが±0


クワは、俺が渡す差し入れが普通か毒物かわからない。

俺は、クワが食べるか否かわからないけども、毒物な差し入れを渡した場合は薬の効果が出たらともかく出なかったら徒労に終わったことになる。よってその場合-1とした。



では結局俺は差し入れを普通にするべきか毒物にするべきか。ゲーム理論で考えれば、俺は「普通の差し入れ」を作るべきであると言える。なぜなら「毒物な差し入れを渡してクワマンがそれを食べない」という俺にとっての一番の損害を避けられるからである。ゲーム理論では何より負けないことが重要だそうだ。

そしてクワマンはどう行動すべきかというと、「クワマンは俺の差し入れを食べないべき」になる。そりゃ-∞を避けるには当然といえば当然だ。

でもクワマンは俺の差し入れを「多分」食べる。ゲーム理論的にありえないことだが、そうなるのは恐らく信頼というやつだろう。俺が「クワマンは俺の差し入れを食べる」と考えてるのも同じか。


つまるところ恋愛感情というのは結局「自分と相手両方に利益をもたらす関係」であると言える。・・・・・・・いや双方に利益が出るのは取引の理想系か…?それだと定義の範囲が少し違うこれではおかしい。





まーでもネタバレってか、俺が薬盛った場合は「バレたら社会的地位を失う」というリスク(損害)が非常に大きく、少なくとも国内でこの方法は利益が出にくいから、なんだろう多分。バレないための努力も必要になるし、それでも可能性が無くなるわけじゃない。




結局クワマンをモノにするのは難しいってこった。

えっと予定が合わないのは仕方ないから、ここは一発録りじゃなくてドラムから1個ずつ録っていく方法にしようかなと考えてます。ちょっと推奨されるべきでないやり方になるんだけど…。

後半の一旦途切れる部分も面倒にはなるけど、一応形にすることは出来る。



えっと21はなんとか皆の予定が空くので録音入れたいと思います。でかぶる。

吉祥寺のペンタで13時から16時まで、ってくらいでいいか。問題無ければ予約いれます。


全員ヘッドホン持参…一発録りだから無くてもいいかもしれんけど、まぁカブリは少ない方があとでいじりやすいだろうから忘れずに。

ヘッドホンアンプはこっちで持ってくけど、MTRはレンタルで。1時間500円だと思ったから1500円がプラスされます。高いけど俺も楽器を持っていかざるを得ないからガマン。てかあそこでレンタルできるYAMAHAのMTR、全トラックが別々のファイルで取り出せる形でデータCD作れるかなぁ…一応確認しておきます。

ちなみにドラムの音色が『比較的』よくなるだろうと思われるSM57×沢山+ゼンハイザーMD421Ⅱの「レコーディング用マイクセット」は借りると3時間でさらに1500円かかります。ちょっと高いからむりぽ…。

池袋のペンタでやるっていう形だとなんとかマイMTRを持っていけるかもしれん。レコーディング後にそのまま俺の家でミキシングできるし。


どうかな



フフ…この本は中々使える。鉄板だ。ムックだからちと高いけど買っちまったよ。


しかしドラムのマイキングがイマイチだったので活かされないという始末。


とりあえずディレイを全体的に軽めに、ボーカルにコーラス、その他バランス調整などでかなり印象変わったと思うので聴いてみて下さい。

ちなみに部分ごとにトラックを分けて音量なりエフェクトなりを変えていじってるので、前半「ああいいね」ってなっても後半もいいとは限らないです。

特にきむギターは2トラックでベースは3トラックなのは相変わらずなので、チェックするときはその辺が要注意だと思います。


以下はかなり私的なメモなんだけど、ギターはフェンダーの方が(シングルコイルだから?)エンジニア側で音作りがしやすい。ただし歪ませる場合はわからん。ドラムはPANをきつく振る必要は無い。むしろ全体的に真ん中メな配置で、シンバル類だけは多少倍音成分が広がる程度か。キックは音作りが鬼むずくてやってられん。まぁマイクの種類と配置の問題かもしれないけど駄目なものは駄目だ。

しかしこれおもしれえなあ

だから私の言うように…自然科学は人文科学よりも上部構造であることは明白なのです…

むしろ自然科学で曖昧な部分をこじつけて自己や他者問わず安心する、もしくはさせるために生まれた概念なのです…。自然科学ですでに決定的でない論理を積み重ねているにも関わらず彼らは直感でものを語ろうとする…。

自然科学も人文科学もキリスト教も儒教もオウム真理教も確かに宗教という点では同じです。しかし仮に自然科学が「正当」に宗教であるとされた場合、現代人は全てその信者であるべきなのです。何故なら彼らは間違いなく文明や技術としての科学の力…つまり人の力により生きているのだから。

そして人が生きているというのはそれに霊魂があるからではなくてそれが物理的に動作しているからなのです。生命にハードウェアという概念は在りません…生命はすべからくソフトウェアとして、アプリケーションとして動作しています。生命は遺伝情報に生かされているに過ぎません…自慰や性交に快感を覚える限り、欲望がある限りそれは生命です…。欲望が無いとしたらそれは遺伝子に歯向かう異端として消滅することになります…何故ならその個体は子供を造らないからです…。


問題なのが現時点での我々の科学力ではその動作がまったくもって理解出来ない点が多々あることです。これはいけません…しかし自然科学にとってわからないというのは必然です。量子論においては光を観測に用いる我々の技術では粒子を調べるには限界があります。そのような原理的限界のみならず人間はその処理能力が低すぎる…さらに人間はドーキンス氏の言う通り合理的でない部分がある。まぁそれも考えてみれば不思議ではない。何故なら負のエントロピーを貪る生命が自然の在り方と反する状態となるのは珍しくない、むしろ我々や我々の言う生命の存在自体が不自然なのだ。


我々に非合理で不可解な特徴があることはわかった。しかし本質は何故非合理なのかではなく、その具体的な動機である。

そう、人というのは時々目から水を流しあらゆる物事を曖昧に終わらせる。当然目から水を流すのは脳からの信号によるものだが、何故脳がそのような状態になるのか、脳は何のためにそのような状態になるのか、これが自然科学ではわからない。どうやら特定の薬物が脳内に分泌されているというようなことはわかっているが、それで直接この疑問が解決するわけではない。

そこで人文科学がのさばってくる。人の精神やら霊魂やらわけのわからないことを持ち出す。たしかに量子論にとっても非常にそれとよく似た約束事は必要である。デカルトも同じような立場であったはずである。全ては約束事だ。

シラフでコレが書けるってスゲエな

ソナーがぶっ壊れた。まぁそれほど問題でも無い箇所なんだけど面倒くさいところがいかれた。いや逝かれた。


めんどくせぇ…MP3アップグレーダーはCDROMを認識してくれないしソナーで出力したwavデータは午後のこーだじゃエンコードできんしメンドイ面倒臭い。




それにしても最近SO2のレオン萌えが抜けない。いつもは何日かビンビンすると飽きて別のに移るんだけど久しぶりにはまっている。このはまりかたは和己くんにはまったとき以来だ。ああ萌える。

そうそう萌え=心の勃起というのは無論なんだけど、これは要するにコンプレックスやらジレンマやらそういう負の感情が入ってくることが多いらしい。メイドいないからメイド欲しいとか現実が嫌だからファンタジーに走るとか、まぁ説得力がなくも無いという感じなんだけど。



それにしてもヤバイなぁここまではまるとはなぁ…二次元萌えってのは一定のラインを越えるとそれで抜くとかは考えなくなるんだよね、それ自身で頭がイッパイになって。わらいがとまんね



あ、レコーディングの予定が無いバンドの目ぼしい代表者(?)に連絡メールを送りました。全バンド届いてるかな?



あ、MSNのメーラーは糞。@の前にドットが配置されるアドレスだと送る事ができない。タッキーとかモリタなんかはそういうアドレスだから意外と不便なわけだ。んでしまいには深夜なのにサーバーが混んでるから送れないとかふざけてる。なめんな。YahooはYahooでレイアウトが糞だ。アウトルックは論外。フリーでいいメーラーないかなぁ…グーグルメール使ってみようかな

やっべーよ全然練習入れてない。


というわけなんだけど一先ず学校練習からで、久保田が27・28日のみということなんだけど他大丈夫な日を教えてください。

スタジオも、とりあえず来週中で大丈夫な日を教えてください。


まぁ要するに今月の予定ですね。

あとデカルトのレコーディングは来週あたり入れたいんだけど、どうです。





よっしゃまとめや。ちなみにレオンくんのヨレヨレ白衣+耳+半ズボン+白衣のポケットに丸められた書類、という2のオフィシャル画像は本当にツボ抑えてるんだよ。鎖骨が無いのが少し惜しいけどまぁこれだけまとまってるんだから仕方が無い。俺はケモ耳少年を作るぞー!JOJOぉー!


キリスト教において神は自分に似せて人を創った、と言われている。そして神は様々な動物や植物、そして海と大地など人間が生きられるような環境を作った、とされる。これらの『神の能力』をにはいくつか特徴がある。それは『神は生き物を一から創造することができる』、そして『神は世界を創ることができる』ということである。ただこの考え方は科学においてはダーウィンの進化論という説得力のある学説によって否定されている。しかし重要なのは、『人間は、科学の力でその2つの能力を具現化できるほどに進化した』という事実だ。

自然科学には未解明の部分も少なくないが、人間は間違いなくその本懐に近づきつつある。既に人間は遺伝子組み換え植物のように、人間が欲した形質を持つ生物を発明し製造することが可能になっている。まだ技術として完全ではないがデザイナーベビーと呼ばれる、親の欲する通りの能力や特徴を備えた子供をつくることが将来可能になると言われている。人間が生命を企画立案できる時代がもうすぐに来る。いやすでにその時代は始まっていると表現する方が正しい。

しかし、ベースとなる生命にサブとなる要素を持つ生命を組み合わせるやり方では、人間がDNAを理解したとは言い難い。真に人間がDNAを理解し神の力を得たというのは、人間が一から生命を製造したことを指すべきだろう。それは要するにDNAないし何らかのプログラムを作製するという意味だから、プログラム本体は非常に大きいものとなるだろうしそれを扱うコンピューターやDNA製造ラボも大きな規模で必要になる。しかしルールさえ見つけてしまえばさほど難しくは無いと思われる。現に生命の製造はコンピューター上のシミュレーションの段階ではある程度成功している。
1987
年進化生物学者のトム・レイは人工生命ティエラと呼ばれる、「自己複製」「死」「突然変異」の3つの生命の特徴を持たせたプログラムをコンピューターの仮想空間上で長時間動かした。すると複数の種類のプログラムに進化しそれぞれが別々の知能を持った、という。生命の定義が出来ない以上これを明確なソースにすることは出来ないかもしれない。しかし我々のやろうとすることに十分に参考になる事例であろう。話は反れるが有機化学では必要な性質を持った素材や特定の能力に特化した薬剤を作ることが求められている。これからの生物学はそれと同じよう必要とされる能力を持つ個体や組織を作ることに活かされるべきである。



では話を変えて生命の合成、生命創造には何が必要なのか。生物の創造はスケールの差こそあれ、化合物の合成と同じである。生命の根源たるDNAを合成しそれを何らかの方法で生命として「生きた」形にすればいい。ただしその基本的なルールは同じであろうが生命の場合はそのスケールが莫大過ぎる。塩基対を数珠繋ぎで一つ一つ組み合わせて行くのでは埒が明かないが、既存のDNAを組み合わせるというのは既に実現してしまっている。まぁそれでニッチを獲得できるような存在は生み出せていないのかもしれないため、それを研究するのも十分に有意義である。しかし私の目指すところはそれとは違い、神が原始のスープからRNAを作り出したと同じように人間がそれを作り出せるようになることである。

生物の定義は出来ない。けれども人間が生物を作り出すにあたって生物である仮の条件をつけなければならない。それは自己保存本能と自己複製と死である。自己保存とは要するに自分を「生きた状態」に維持する本能を言うがそれは単純に、RNADNAの周りに膜を作りそれが散乱してしまうことを避ける、というような生命の性質を指す。「ただ」の化合物はエントロピー増大の法則にしたがうが、「生命としての」化合物は自己の周りに殻を作り内と外という意味的な秩序を形成する。意味的というのは、物理的としてしまうと生命として機能するに必要な物質と不必要な物質の内と外の交換ができないため、そういう抽象的な概念が必要だからである。


「生きた」状態というのにも定義が必要である。人は生物が生きているかどうか調べるとき、動物なら動いているか否か、哺乳類なら温かいか否か、植物なら枯れていないかもしくは根が腐っていないか、などを見るだろう。これらに共通しているのは生きている生物というのはその生物自身の意思で化学的活動を行っていることである。生きていれば本能に従って死なないように食物を探したり、天敵から逃げたり、水を吸い上げたり、移動したりする。もし腐っていたり他の動物に食べられていたりしていたとしたら、それは他の生物の意思によって支配されている、つまり死んでいることになる。だから人間が生命を作るというようなときも、その機能を持ったハードを作り出すだけでなくそれが化学的物理的に動作しなければならない。

生命とは秩序、つまりルールである。一律の義務を負った化合物が己の義務を果たすべく存在し活動する「生き物」である。人間はその物理的で道具的な秩序を作ることができるのだろうか。



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