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空気
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明日と明後日はメンバーがことごとく入れ違いになるようです。

31日→タッキーが14時からOKだけど、kubが15時には抜ける。

1日→タッキが12~15時までOK プロレタが12~14時にスタジオ


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ネタバレだけどいいよね。

オリジナルは、Fのブルースに乗っ取ったセッション方式になります。参考

コードは上記のサイトに乗ってるけど、構成はその12小節が

主題→Sxソロ→Kyソロ→Baソロ→Drソロ(?)→主題

と繰り返されて曲が進む、って感じでいいのかな。正直詳しい話はよくわかんないんだけど、まぁツッコミは各自でいれてください。



あと次のスタジオは29日昼間の予定だけど、とりあえず駄目な時間などあれば書いて下さい。

現段階で課題、というかやるべきことは主題の作成です。ほんのワンフレーズで構わないので各自がんばって下さい。


一応連絡用でメアド書いておきます carasu_03@hotmail.co.jp 

メッセにはなるべくログインするようにするといいかも。MIDIファイルなら軽いから簡単にメールに添付したり、メッセで転送で交換しあえる



どうやらカバーは駄目らしいです。



まずい



「現在、雑人すなわちヘルニヤ人といったたぐいの浅薄な理解がひろまっていることをわたしは恐れている。ヘルニヤ民族はまぎれもなく真正の雑人であるが、雑事ンはヘルニヤ民族につきるものではない。すでに述べたように、雑人とはわれわれのごとき選ばれた人間にとっての他者である。この両者の弁証法的関係は、そのまま神とその他者である人間との対立関係、より高位の弁証法的関係へと転化させることができるだろう。それについてはすでにさきほどから十分すぎる示唆を与えてきたことでもあり、これ以上の言及はさしひかえたい。諸君の鋭敏な想像力はわたしのいわんとしたことの意味をたちどころにさぐりあてることと信じる。したがっていかに述べるのは諸君の中のもっとも鈍重な精神を顧慮して行う蛇足的説明にすぎない。まず、ヘルニヤ人が雑人であることというこの事実ほど明快なものはあるまい。ひとはだれでもこの事実に快い満足をおぼえるはずだ。というのも安んじて軽蔑し憎悪しうる他者を共有することが人間社会の本質的な存立条件であるからだ。たとえば2人の子供が路傍で出会って遊び始めたとしよう。そこにどんなことが起こるか?1人は他の1人を支配し始め、玩具をとりあげ、犬やウマや犯罪人の役割をふりあて、要するに他方を屈従させるだろう。2人の人間が出会ったとき、かならずこうしたことが起こらずにはいないのだ。ここに生じた優劣関係は、あらゆる個人や集団、民族などの間にも起こりうるし起こらざるを得ない。人間が集まるところにはつねにピラミッド形の序列の体系ができあがるのである。支配するものとされるものとが層をなして積み重なり、ひとは上の層からは支配されると同時にしたの層を支配する。ある精神分析学者がいっているように──次いでながらこの男の著作は全体としては陳腐で我慢できないものだ、すみやかに焚書処分に付すべきである──健全な人間がサディコマゾヒストであるとすれば、こうした関係こそ人間を一個の社会へと組織するための根本原理であるはずだ。ところで、このピラミッドの頂上には、必然的に、支配するだけで支配されることの無い一者が存在せざるを得ないだろう。これは自明の理だ。そしてその地位をしめているのがこのわたしである。他方、低い卑賤な層に属する人間も、自分たちが存分に侮蔑し支配する事のできるような他者をもつ権利があるだろう。これをおしつめていけば、最後には支配されるだけでけっして支配する事のない人間の屑がピラミッドの底部に沈殿せざるをえない。実際、こういうものが存在しなければ人間は承知しないのだ。この人間のカス──それは人間とよべるのかどうか疑問であるが、それこそ雑人であり、ヘルニヤ人なのだ。だれもがこの雑人に対しては心ゆくまで憎悪を燃やし、石を投げつける事ができるわけである。以上はたての関係で雑人の成立を分析したものであるが、今度は横の関係で論じてみよう。この分析視覚には支配服従や優劣の序列といった観念がはいってこないので、人間の平等を唱えるヒューマニストにも好評を博する事だろう。たとえば人間が豚のようにおしあいへしあいしながら集団を作ることを考えてみるとよい。まったく愚劣なことではあるが、人間は道徳あるいは掟というねばねばしたものを分泌して離れがたく凝集するのだ。そしてそのさい、なんとしても凝集しえない分子がその外に押し出されるのであって、これこそ雑人にほかならない。首尾よく集団に所属した人間たちは、このはみだしてうろうろしている雑事ンをみると抑えがたい残忍な悦びと安堵とを感じ、同時に自分たち同士のやさしい連帯感にみたされるのである。かれらのささやきかわす愛と平等のお題目は、こうして、共通の嫌悪の対象である雑人の存在を前提にしていることが明らかであろう。そうだとすると、安直なヒューマニズムや人間平等の観念などで自分んをごまかす必要もあるまい。人間が不平等であることは一種の自然法則ともいえるほどだ。端的に申そう。わがクルト民族はもっとも優秀な民族である。ヘルニヤ人は申すに及ばず、他のあらゆる民族はわれわれの足下に屈従すべきものだ。ではだれがそれを保証するのか? わたしが保証しているのである。わrわれの優秀性とそこから生じる使命を決定するのはわれわれ自身であるが、凡俗な人間はそうする意力に欠けるだろう。だからわたしがすべての責任をもとう。わたしが一切を保証するのだ。クルト民族はほかのあらゆる民族を抹殺しなければならない。世界はわれわれのものである。われわれの戦争は地上から他民族を掃討することを目的としているのだ。領土の拡張はその手段に過ぎない。われわれは富の掠奪を望んでいるのではない。目障りな人間どもの絶滅を期しているのである。雑人のいない世界こそわれわれのユートピアだ。現在我々はめざましい勝利をかさね、刻々と版図をひろげつつあるが、肝腎のこの目的自体がややもするとなおざりにされているのは遺憾である。第一に占領地区から狩りだしたヘルニヤ人を一掃能率的に撲滅せよ! それだけではない。敵国の捕虜については、戦闘員、一般市民の別なく雑人規定を適用すべきである。さらに、クルト帝国内にも、雑人規定を適用すべき人間が少なからず潜在しているのだという事実を指摘して、諸君──とくに親衛隊、秘密警察、ならびに突撃隊の責任者諸君の注意を喚起しておきたい。なお、この席上でK氏に公式にお伝えしておきたいが」といってH総統はKのほうをふりかえった。ははてしなくつづく演説のあいだ執拗に襲い掛かる睡気とたたかいつづけていたが、はっとして力いっぱい眼をみひらいた。H氏はその歯ブラシに似た口髭の舌に奇妙な諧謔的な微笑を浮かべながらいった。引用以下宣伝

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www.tokuma.co.jp/coil/

えっと、諸々の事情により練習出れなかったのですが、なんとかこっち側で解決(?)したので練習出れます。よってくぼっちが11:30から、だそうですがとりあえず全員揃うので、通常通りの練習時間でOKです。



タンスとの交換は、手違いによりなしになりました。

どうすべきか!?

メーリングで音楽部全体に呼びかけてみる?



明日の練習は、タンスと交換してもらいミーティング終わった後からになった模様です。

……とH氏は開口一番どなりつけた。かれの人間離れのした、義眼のような目をむきだして睥睨とともにさかんな拍手が沸き起こったがKにはまるで理解しがたいことだった。H氏は右手を水平にさしだしてそれ以上の喝采を制し、めいめいの食事をつづけてほしいと要望した。といってもこれは食前の形式的な祈りのことば同様に意味の無い外交辞令にすぎなかったのであり、だれ1人ほんとに食べはじめるものはなかったのである。H氏は肩をいからせ、胸を膨らませて続けた。

「諸君、いまこそ雑人の撲滅にとりかかろうではないか。それも従来のように行き当たりばったりの能率の上がらない方法によって、ではない。われわれは個々の兵士や将校、秘密警察官や突撃隊員、親衛隊員などの手による私刑にまかせておくべきではない。私刑! なんと感傷的で姑息な手段だ! わたしはもううんざりしている。さよう、わたしの申したいのはなによりも能率的な雑人根絶だ。そのためには組織立った方法に切り替える事が必要である。無論同時に諸君自身の頭の切り替えも必要だ。わたしはここで雑人範疇を確定しておこう。まず、その名を口にするだけでも憎悪で鳥肌だつあのヘルニヤ人についてはいまさら申すにもおよぶまい。かれらこそ雑人の純粋種でありその元兇である。われわれは顔をにらみつけるだけでヘルニヤ人を識別する事ができるほどだ。それは数千年来、われわれの正当な世界から指名手配をうけてつねに監視されてきた顔なのだ。だからそれは積荷おびえる犯罪人の顔だ。かれらの背負っている罪はあまりにも自明で大きすぎる。要するにかれらにあってはその存在そのものが犯罪にほかならない。かかる雑人の顔というものは、長い鼻、開墾の涙で腐った眼、それに薄い真実味の無い口と悪意に尖った耳をもつのがおきまりである。すでに乳幼児にしてこの本質的特徴のこしゃくな発言がみられると申せよう。それはわれわれの憎悪をかきたてずにはおかない。だが、ヘルニヤ人のごとき雑人を想像したのはわれわれ自身なのである。かれらはわれわれが生み出したわれわれ自身の他者である。この他者を抹殺すべきときが今や来ている。いや、人間はその機械をいつもその手中に握っていたのだ。かけていたのはあとわずかの有機と確信であった。周知のごとく、神は人間を創った。しかしその人間は神にとってt者となったという理由で罪深い存在なのだ。だから神は人間を殺す。この原理はつねに代わりはしない。それは我々自身の原理でもあるのだ。わたしは神である。そうだとしても、わたしにとっては他者すなわち人間は必要ではないのだ。諸君がいまもってなんとなく未練を感じているらしい宗教というものから女・子供向きのオブラートを剥ぎ取ってみるとわかるだろうが、最初から神は人間なしに存在していた。かれが人間を想像したのは単なる錯誤かきまぐれに過ぎなかったのである。ところで神はこのときひとつの悦楽を発見した。つまり人間に自由という厄介なものを与えたあげく、この自由をいけにえとしてさしだすように命じるということである。そもそも人間が自由というような厄介な代物をいつまでももちつづけるはずがないではないか。かれらはかならずそれを供出する。開戦と同時に国民がこぞって貴金属類を供出したのと同じことだ。かれらは自由を神に奉納してしまったほうがご利益が大きいだろうと考える。思う壺だ! 神は着々と自由を回収する。そうなると人間とはなんであるか? それは神の交付する掟に甘んじて鞭うたれる家畜の群れにすぎない。あとはそいつらを食い殺すだけなのだ。最後の瞬間まで人間は欺されたとも知らずに神がかっとあけてひろげているおそろしげな口の中に行進していくだろう。そうではないか、諸君」

H氏はそこで一段と眼をむきだした。すると交換たちはひどく哀しげな――とKには思われた――喚声をあげ、いっせいに右腕を右上方につきだす例の敬礼によってH氏に敬意と称賛の意をあらわすのだった。だがH氏は暗にみずからそれを要求したにもかかわらず、部下たちの忠実な反応にますます不機嫌になり、眉のあいだのしわを深めながらこのうえなく侮蔑的な調子でつづけた。

「……あらゆる人間の運命は以上につきるだろう。諸君の場合も同断である。神は食人をその属性としているのである。少なくとも人間が残っている限り、神の愉しみは人間を貪り食うことだと申せよう。人間がいなくなったときにはどうする?――そんなことを心配するのは取り越し苦労というものだ。人間を創るまえから神は人間なしでちゃんとやってきたし、人間を喰いつくしたあとも、いくぶん退屈はするにしても悠々とやっていくだろう。神が人間を必要とするなどとぬかすのは坊主の宣伝にすぎない。神とは本来人間なしの神なのだ。愛とか憐憫とか慈悲とかいった迷信も一切、坊主どものふりまいたものである。神がそんなものをもちあわせているはずがないではないか。神は人間を殺戮して世界を整頓し、自分だけで居心地良く住む事を望むのだ。意やそんなものは神ではない、人間のない神とは形容矛盾だと反論する衒学の徒がいるかもしれない。いっておくが、その種の役にも立たないことを考えたがる知識人は容赦なく撲殺すべきだ。神で悪ければ怪物とでも魔神とでも呼ぶがよかろう。悪魔と名づけてもよい。似非非合理主義者ならそれを超人と規定するだろう。だが問題はそんなことばの穿鑿にあるのではない。すでに賢明な諸君はお察しのことと思うが、以上のような神による人間絶滅の理論はそのまま目下の状況ではわれわれクルト民族による雑人撲滅作業に対して指導理念となるのである。わたしは本日、高邁な学者であり大学教授であるK氏をお招きした機会に、従来ややもすれば明確な思想の裏づけなしに行われてきた雑人撲滅運動の確信まで立入って、この運動に哲学上の支柱を与えたいと思ったのである。」


ほんとはこの先にもずっと続くんだけど、疲れたからここまでにしよう。



おいおい、さき君。任せっきりはよしてくれよぅ 僕はこういうブログとか得意じゃないのだよ

今日のお題: Blankey Jet City!  の 『SALINGER』という曲について

 そうね、ブランキーに最近ハマってるのです。

 ちなみに 『SALINGER』とは、ベンジーの愛車のヤマハのバイクの名称というのはもう皆さんご存知ですよね?サリンジャーは、ヤマハのxs400です。70年代から80年代に作られた初期のアメリカンです。
ベンジーの単車遍歴はモンキー、パッソル、yamahaxs250,ハーレー,kawasakimark2,xs400。この記事を書くために調べたの。がんばったね 




 SALINGERといえばあの小説家のサリンジャーさんと関係あるのかなと思うのね。ライ麦畑だけでなく、短編などサリンジャー作品は非常に興味があるわけですが、この曲はサウンドワークだけでなく歌詞もちょっとざらついた、冬のひりひりした空気のようなイメージを構成していると思うのですよね。それがサリンジャーの描く青年像にマッチしていて、サリンジャーを想起させるのだと聞いたことがあります。


 詞を文字としてではなく、詩として感じれば実際にSALINGERが関係なくても「この曲はこれで良いのだ」と思えてしまいますよ。 

ライ麦はアメリカで「青少年の教育上、よろしくない!」と発刊禁止になってたそうですな。

ま、アメリカのいう『自由』とはその程度ってワケだ。



  今日は、プロレで久しぶりに「SWEET DAYS」をやったんだ。なんか前に僕がサビで歌う「SWEETSWEETDAYS♪」のとこが「吸いついてー♪」に聞こえるって言われたことあったな。誰にだっけな。KUWAMANか!

・・・・・以上

Akatsukiがやたら速いものの辛うじて4ビートだったのに対して、人が夢~はなんなんだろうねこれは…

人が夢をで頻出するリズムで[付点8分音符+16分音符]っていうのとそれにタイが組み合わさった…要するにシンコペーションが合わないんだね多分。まぁこういうリズムは個人個人は出来るだろうから、数合わせて段々慣れていくしかないか。


とりあえず人が夢を~を合わせる上で注意しないとマズイのは、ドラムのスネアがすごい変なタイミングで入ってるという点です。Akatsukiはお馴染みの2・4で入ってるから分かりやすいんだけど、人が夢をではシンコペーションがかなり強調されてるから、なんかワケわかんない場所にある。

要するに合わせる上でテンポの基準に、ドラムのフレーズはアテにならない(なんだか歯切れの悪い表現だな…)

そんで重要になってくるのが、ッタッタッターッタッタッターってずっとやってるベースになるわけ。伝わりづらいけど、Akatsukiではランニングベースでキツかったであろうベースだけど、人が夢をではテンポキープのカナメになるベースなわけです。がんばれ。皆も人が夢をではベースを頼りにしよう



しかしマイク使うようになったら一気にアラが目立つようになったな俺。マズイ



PS



この人参院選で出るって。まぁ安部よりはマシだろうから応援してあげてよ



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