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空気
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 どうも御無沙汰しております、Kubです。

 ここ最近の記事を鵜呑みにしてしまった方は、私に対するイメージは酷くなっていることでしょう。

 非常に残念なことです。さき氏のいう言動はあまり気に留めないで頂ければ幸いです。

 次に記事を書くときは、もう少し実のある内容にしましょう。

 それではまた。
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次のスタジオの話です。

さきは例の音源を来週の頭までには頼みます。

音源配られて少し時間を取ってから入りたいと思うので、16日くらい?


フライミーの楽譜も早く用意しないとな…


PS:

やっぱりベースはホントにマジメに考えた方がいいと思います。いやメンバーがどうとかエグイ話じゃなくて、楽器の問題。

流石に箱ベース買えとは言えんけど(アレやたら難しいしね)、何かを変える必要があると思う。

参考:http://yamajazz.way-nifty.com/jazz/cat337112/index.html

今のデカルトだとベースがゴリゴリしてて多少ロックっぽさが出ちゃうんだよね。多分ここを変えればもっと趣きのあるバンドになると思うから、大学行ってもデカルト続けるのならここをもっと研究する必要があります。

このサイトは結構面白いことが書いてありますが何にしても奏者の練習と音色の探求が不可欠です。フレットレスにすれば割と簡単にそういう雰囲気は出ると思うけど、色々考えておく必要があると思います。とりあえず今のG&Lのベースはマズイ。



今回もネタバレです。



参考資料

原作と今回の使徒の違いで「血の色が赤い」ということがよく言われます。確かにサキエルは自爆したあと文字通り血の雨を降らせたし、ラミエルも死んだ時ボコボコボコぶしゃーっと血を吐いてネルフ本部が非常にエンガチョなことになってました。

本編を見るとサキエルは確かに初号機に腕を折られたとき青い血を出してます。が、他の使徒を見てみるとレリエルとタブリスは赤い血を持っています。タブリスはゼーレに作られた使徒なので除外するとしても、アダムやリリス(両方とも使徒)のコピーであるエヴァンゲリオンの血も赤いことから、今回の使徒は原作よりももっと忠実に作りたかったんじゃないかな。たぶん。

現実にも酸素運搬に鉄を使う生き物は確かに血が赤くなるのですが、イカなど酸素を運ぶのに銅を使う生き物もいて、ちょっとキモいんだけどそいつらは血が青いです。



まぁつまり今回の使徒の特徴は血が赤くなってることよりも、死体を残さないことの方が重要なんだと思います。

死体は残さないけど血は残す、というよりも「使徒は死んだと同時に血(LCLというのも有)に還元される」と解釈した方がいいでしょう。理由は分からないけど、死んだ瞬間ATフィールドが消滅するから、と言うのが現状では一番説得力あるかな。要するに人類がジュースになったときと同じね。


そういえばそれ以上に気になるのが、本来第3使徒と表現されていたサキエルが今回第4使徒とされていたこと。シャムシエルも第5使徒、ラミエルは第6使徒になってる。使徒=18個というのは変わらないだろうから、多分リリンがずれて第3使徒とかになってるんじゃないのかなぁ…わからん。次の作品を待つ。


あ、今後といえばEVA板でもさんざん言われてるんだけど、ラミエルでここまでスゲーもんになるならゼルエルでどうなるか、と。J・Aとかシナリオ自体カットする方向でいいから、例のトイレットペーパーはカッコイイもの作ってくれ。捕食シーンなんか咀嚼→嚥下とか書いてもいいかもしれん。うーんそこまでやるとグロイか。てか次は多分バルディエルまでなんだよね…ゼルエルやらないじゃん



ということで個人的感想&客観的批評のようなものを書こうか。ネタバレあり。


ラミエル超カッコイイ


今回は序章とあるように、アニメの1話からラミエル倒してレイがデレる6話までの、リメイクと言った方がいいでしょう。

出来は、わしのようなEVA-FREAKにしてみりゃ血尿もんですねこいつは。ラミエルの幾何学変形&攻撃はかなり熱い。ラミエルの攻撃方法って良く見たらレーザーなんだね。あと第三新東京市の建物のメカ。ビルが生えたり引っ込んだりするやつ。こういうメカ好きにはタマランね。

まぁ細かい描写の「ここが良い!」とか「これはカッコイイ!」とかを一々書いてるとえらい長くなるので個人的感想はここまでにします。


じゃあ客観的批評を述べてみようと思います。と、いうより俺がエヴァオタじゃなかったとしたらの意見かな。間違いなく駄作かと。

金はかかってる作りなため作画にCGにと見てくれはよく出来たものになってるんですが、それしか売りになる点が無い。基本的に心理描写が殆ど無いのは1~6話の部分を扱ってるため仕方ないのですが、映画自体使徒との戦闘シーンが中心の構成になっているので、アクションで売ってる安っぽい映画にしか見えない。

そのため、「笑えばいいと思うよ」のような重要なシーンのテンポが悪い。そのくせシンジがレイの部屋に上がりこむところはやたらサービスがいいので、極論すればこの作品はエロとアクションという駄目駄目な内容になってしまっています。

てかこの作品、監督マジになって作ってないな。

アニメ作る技術は10年前よりはずっと進歩していて、しかも「EVAなら絶対売れる」っていう確信があるから大金注ぎ込めて、そりゃーオリジナルのアニメよりはずっとイイものは作れるはずなんですよ。その辺は当然なんです。ラミエルの変形だって確かにカッコイイけど大分大掛かりな金使っただろう。

しかし、このアニメには魂が無い。抽象的で悪いが、アニメも芸術である以上そうせざるを得ないわけだ。

労力(=金)をガンガン使えば見てくれのいいものは作れるし事実このアニメを公開したことで胴元(ガイナックスでも庵野でもないとある連中)はとてつもない利益を上げていると思います。あと3作でどれだけ稼げるかはわからんですが、ぶっちゃけ言えば悪い意味で京アニと同じことをしようとしてるようにしか見えんのですね。

でも俺はEVAは好きだから見るけどさ。


まぁ4部作とのことなので、今後に期待、とでもしておきます



とりあえずラミエルのかっこよさは異常。見てきて損は無い。

実は今携帯が学校に置きっ放しでメーリングやりとりがまったくわからんのです。

文化祭までの練習日程で連絡あったとしたら結構ヤバイ…。


最近はくじアンにまなびにげんしけんにと1クールのアニメばっかりみてたから、流石に2クール作品見るのはシンドイね。

わしらも気付けば半年後はああなるのか。大学行けるかはわからんけど。



ってか流石にあの記事はキチガイ過ぎたかなぁ…長いしまじめに読む人もいないか、いやまじめに米つけるほうが馬鹿らしいと思われるほど低レベルな記事なのか…。まぁブロガーとしてはまだまだだな。



ところで消失されたと思われていたプリント一式が見つかった。これはデカイ。いまやってます。



あ、例の記事みたいな内容は「そんな理屈は犬の糞以下」とか思ったら、思ったとおりに米つけてくれるとうれしいです。内容もかなり極論なので反論・否定の余地は十分にあるはずです。議論ってのは互いの至らない部分を高めあうことで次元の高い理論を構築することに意義があるのです。まぁ内容も文体もクソなので、取るにたらないブツと捉われても仕方ない酷いものですが…。

マヤ「初号機のシンクロ率が400%を超えt  こういうのは即効でやらないと面白くナイわけだな 

イノセンス㊤
上のつづきです。さて何故確認というタイトルがついているのか…。

要するに、この事実を前提としてこの上に更なる論理が積み重なるから、なわけです。


生命には命とか、タマシイとか、意識とか、そういうものは無いんです元から。そういう宗教的なこじつけは現代には必要無い。

しかし、デカルトの言う通り自分という疑問を持っている存在にだけは確証が持てるはずです。

んで、ここから少し面白くなるんだけど、自分のことはともかく、他人はどうなのか。フフフここがデカルト流儀で一番面白くなるところだな。

ぶっちゃけ言えば他人を信じるも信じないも自分しだい! むしろ人であるかどうかさえ決めるのも自分なんです。自己本位なんていう生温い概念ではありません。

なぜなら、自分は他人じゃないから、他人が本当に疑問を持つという自我の性質を持ちうるかはわからんのです。そこで普通の人は人と呼べるかどうかさえ分からないその事物を「人に見えるかどうか」で判断しているわけです。

げんしけんでも出てましたが、人は記号や特定の要素で人と、判断しますからチューリングの名前を出すまでもなく、本当に他人に自我があるか、それは自分の判断で決まるわけです。すばらしいでしょ。

何が素晴しいかというと、それならば通常人と判断されないものについても色々と決めることができるんです。宇宙的自慰と言ってもいいでしょう。人形に自我があると判断すれば、それはあるんです。愛用の楽器やパソコンに自我があるとすれば、それはあるんです。素晴しいでしょう。

単なるキチガイ理論かと思いきや、この理屈においてはコンピューターウイルス的生命に関して中々面白いことになります。まぁこの辺はけっこう進んでて「今更」なネタなんだけどね。というよりチューリングテスト云々やってる時点ですでに生命に関する昔ながらの概念は消し飛んでるんだけどね。





ま、色々あったけど、まとめれば生命はDNAに支配されている存在に過ぎないわけです。人間がその停滞した状況から抜け出すには、DNAの支配する肉体を捨て、違うカタチになるしかない。全人類がジュースになるのもそれの1つの選択肢なのでしょう。俺はゴメンだけどな。ジュースになるくらいならクワマンをオカズにして一発やってから死んでやるぜ。全人類電脳化して全ての人間の記憶とゴーストを共有、というのも駄目だ。まあちょっと違うけど鋼鉄の体に生まれ変わるというのも悪くはないと思う。



さあ議論したい奴は集まれ!








ところで卒論の内容ってなんでもいいんだっけ?



カウント数がちょっと増えてきて内心フヒヒとか思ってたところが、それでアニメ批評やら特定作品マンセーしててもしょうがないので、デカルト的なことをやっておこうと思った。

じゃあテンション上げて行ってみようか。


前作のゴーストインザシェルではウイルスが生命と同じ要素を持つということと、それと同様に生命も自己保存のためのプログラムでしかない、ということがテーマでした。レインで言われていた「生命はただのアプリケーションに過ぎない」というのと同じです。

イノセンスはどういう内容なのかというと、生物と非生物の区別に関するものでした。

「人間機械論」というものをご存じかな。過去にラ・メトリが唱えた理論で名前の通り、生命活動は意識的・無意識的、生きるためのもの・そうでないもの、問わず全ては機械的で、つまりは人間とは有機的なロボットである、というような内容のものです。

それより以前に、デカルトはそれと似たような理論を発表しています。宇宙論や人間論、そして方法序説に書かれているその内容はラ・メトリのとはまた違ったものとなっています。

デカルトは、人間を体と心の2つの部分に分けて考えることにしたのです。

体が存在するのは言うまでもないですが、心というのはデカルトの「我思う、故に我あり」という前提に表示されています。ちなみに我思う~というのは、私が考えているから私がある、というのではなく「何はともあれ疑っている自分は必ず存在する」ということです。疑っている自分の存在は否定できない、と考えたわけですね。この前提は実は自分にしか適用できないため(疑ってる他人の存在に確証は得られない)ある欠点を生み出すわけですが、それはまた別の話。

で、デカルトの論理とは、体は確かに機械なんだけどそれに宿る人間の心は機械じゃない。言い換えれば機械に自我が芽生えた存在が人間である、と言ったわけです。


ラ・メトリの論理もデカルトの論理もどちらも捨てがたい面白い内容です。ではどちらが正しいのか。ちなみにここから私の主観の理論になります。


まぁでもラ・メトリの方が正解に近いんだよね。デカルトも間違ってはいないんだけど、自我を確認できるのは自分だけであって自己満理論と言っても過言じゃない、と思う。つまり定義する意味がない。どちらの理論も脳みそは機械なのだから。


ところで一般的に人間には意識があると言うけど、意識が脳を動かしてるのか脳が意識を支配してるのか、どちらだと思いますかね。

大脳生理学の基本なんですが、脳は神経細胞の間を樹状突起とシナプスを介して電気信号がやりとりすることで入力(感覚器からの情報)と出力(筋肉・ホルモン分泌などへの命令他)をこなしています。ちなみにこのときの演算能力は現代のスパコン程度なら宇宙的に上回る性能を持っているので、電脳化の1つの問題点がそこにあるわけです。

ま、つまり脳みそってのは神経細胞っていうちっちゃいコンピューターが作り上げた膨大なネットワーク・ワイヤードの世界なのです。

その世界の中で動くアプリケーションがDNAなわけです。その存在意義は、DNAを後世に残すことで、そのために人間はDNAに飯を喰わされて、眠らされて、セックスをさせられるというわけです。わかりやすいよね。

まぁここまで来ると反論の余地が無いのですが、意識が脳を動かしているわけではないのです。

人はソフトウェアにまかされているだけ。


ただここで1つ疑問になるのが、音楽や絵画などの芸術の世界です。芸術などの「遊び」は人間しか持っていない、それに娯楽は生きることに直接関与しないため、それが意識の存在の根拠になるのではないか、という理屈です。

俺はこの点に関してはわからん。しかし、人間しかやらないとは言っても人間が娯楽という文化は生活に物理的・心理的余裕が出来るほどの文明を持ったことで可能になったため、人間しか出来なくて無理もないモノなわけです。ただ「そういう文化を持つに至った直接的理由」がわからんため、問題なのです。これはホントにまだわからん。研究中。

ただ「皆と同じ事をすること」に快楽を感じるように人間が出来上がっているとしたら、つまり共感を持つことに楽しさを覚えるようにDNAにプログラミングされていたら、音楽の楽しさはそれが根拠になります。絵画や詩や文学に関しても、何かについて論理的に考察すること、脳を使うことに楽しさを覚えるように出来ているならば、意識だのなんだの言う余地は無いです。確証は無いけどね…。



長いですね。もう少し続きます。が、書いてる方も疲れたのでまた続編で。



2chとアニメ漬けの夏休みでした。にゃもカッコイイ

そういえば電脳コイルまた始まったんだぜ!甲子園とかいって延々やってなかったんだけど、これはテンション上がるね。今週もアキラ独壇場の総集編で終わるかと思ったらちゃんと2部の伏線もバラバラっと表示されてるじゃないの。タイトルが作中に出てくるのが遅いか、と感じても伏線アニメの代表サヴァイヴなど第52話にやっとタイトル名が出てくるようなものもあるので、そんなじらしてるわけじゃないでしょう。

ああ最近電脳コイルはテーマというよりその世界観を楽しむアニメだと思った。今更か。

例のメガネに関しては色々と語られてるけど、あれだけ実用性の高いウェアラブルコンピューターが完成すればあの作品くらい普及してもおかしくない、とは思う。

まぁ俺はマンマシンインターフェイスとしてのウェアラブルコンピューティングよりも、脳とコンピューターのソフトウェアインターフェイスを実現するほうが面白そうだな。

んん、わけがわからない?

要するに電脳コイルより攻殻機動隊の方がいいってこと!まぁ性能が高くて使い勝手の良いコンピューターを作るのではなくて、脳みそをコンピューター化する方がロマンがある、というわけ。メガネも捨てがたいけどさ



サックス革命消去したら風呂関連の記事が書けないではないか!

これは風呂ブログも作ることになるかな??


ところで中の人が長門っていう、この曲がやりたいです。風呂で。校歌と両方やってもいいけど。


うーんまなびは面白いなこれ。

てか、1話を見ていて「こりゃ痛いわ~」とか思うアニメほど良作のケースが多いのは俺だけだろうか。

やはりアニメは痛くてなんぼの世界なんでしょう


ところで誰か俺と電脳化技術に関して語らないかね。卒論でソッチの方のこと書いてみようかと思ってて本屋行って資料あさりしてみてるんだけど、なにやら滅茶苦茶面白そうな本があったんだよね。高くて買えんのだけど。



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