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ひとまずこれとかオススメです
えー本日のライブはお疲れ様です。Akatsukiがなんだかすごい盛り上がりようで面白かった。
えーとね、まぁ大まかな事はもう言ったから、サックスプレイヤーとしての俺の生い立ちでも話そうかな。
吹奏楽は5年間もやってたんだけどその内半分以上はホントやる気無い状態でgdgdgdgd続けてたんだけど、その転機が訪れたのは確か高1の終わりでやった定期演奏会。
知ってる人は知ってるけどそのとき吹奏楽アレンジのTruthやったんだ。確かその時、1回の演奏会でクラシック・クラシック以外両方で合計6回くらいソロをやった(ソロが演奏会1回で2つ以上あれば多い方の吹奏楽界では異常な数字)。トゥルースのソロは一番目立つやつで、結構練習重ねて本番もかなりガチで吹いたんだ。
管楽器って力むと力むほど「ああ頑張ってるな」っていう激しい音が出せるんだけどその分音を外しやすくなったり失敗しやすくなったりするんだけど(他の楽器でもそういうのはあるか)、その時は本当に賭けでガチで吹いた。
普通なら失敗ってところだろうけど、奇跡的に上手くいったんだ。それでブラバンのOBとかあと何故か菅原とかに滅茶苦茶褒められたんだ。それで俺はクラシックよりこういうのが向いてるのかな、とか思いはじめたんだ。
ぶっちゃけあの時の演奏は自分で言うのもアレだけど名演。それだけ後の影響は大きかった。
次の転機、というよりバンドらしいものをはじめて組んだのは、高2の文化祭の中夜祭。そのときオサっちだかミヤモン(ブラバン先輩で当時高3)だかが中夜祭にスカパラバンド組んで出ようって企画して、それでサックス要員に俺が誘われたわけだ。別に俺が特に上手いからというわけではなくて他にスカパラが吹けそうな奴、ってのと目立ちたがりなのは知ってたから、それで誘ってくれたのかもしれない。
んでオーディションはスカパラのカナリヤ鳴く空っていうサックス中心のフレーズの多い曲をやって、俺もその時はテナーで出ててソロを吹いたりして、なんだかんだ受かってしまって中夜祭に出たわけだ。それが切欠で、吹奏楽を捨ててこういう方向に走ってもいいかな、とか思いはじめた。
それで更に理由というのがあるんだけど、俺が高2終わりでブラバン幹部になったとき、他の幹部連中と馬が合わなかったわけだ。というより、俺の忠告だか注意だか教えだかってのをホントに伝えようとしたんだけど、奴等はそれを理解しようとすらしなかった。まぁこの辺はこれ以上悪く言うつもりはないけど。とりあえず俺の話を聞かないで挙句演奏面で自分たちが困ったときは俺頼みでソロを俺に押し付けたりわけのわからん連中だったから、それでこいつらとはやってられんな、と思ったんだ。
その頃俺はINTOと同じクラスで何故か彼とは馬が合っていて、ギター部でバンド組んでGodとかやってるとか聞いて、ああなんだか面白そうだな俺もやってみたいなとか思って、なんとかブラバン・ギター部双方の顧問を説得してファイナルライヴにちらっと出ることができたんだ。
ファイナルライヴでは全員退部扱いになったから、その後音楽部に入部。
その後、新入生歓迎ライブでは全然ノレなくて、でもみんなのテンションに圧倒されて、ああ面白そうだな、と思ってたんだ。前にも書いたかもしれないけどどっちかというと俺もそういう狂ったテンションの持ち主で、でもそれが発揮するには当時の俺のとって、音楽部ってなんだかコワイ人とかけっこういたんだ。
つまりやりづらかったんだけど、色々バンド見たりやったり話聞いたりで仲良くなったり生まれて初めてヘドバンやって恐ろしく気持ち悪くなってこれじゃいかんとか思ってサックス置いといてヘドバンの練習をひたすらしたり、あとはホルモンをひたすら聴きまくったりしてた。
あとデカルト作って、ペズとかみんなやりなれてないようなバンドにブルースとかジャズっぽいのとか、そういうのに必死で、実際俺文化祭で引退とか考えても無かったんだ。
あ、俺引退なんだ。
って急に気付いたのはいいんだけど、気づいた時はそんななんか思ったりとかはしなかったんだ。けど文化祭終わって片付けして打ち上げしてスタジオ借りてバカ騒ぎしてあとクワマンが泣いてるの見たりして、ああ、と俺らしくなく思ったわけだ。
ちなみに俺は実はけっこう涙もろくて文化祭2日目とか今日とかの帰りにウチワをずーっと扇いでいたのはコラえるためだったんだよね。
追伸
でかうちは色々話すことがあるので必ず出席すること