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今更言うのもアレなんだけど、絶望的に楽観主義で「成せば成るからあとはどうでもいい」という俺が哲学的なことを書くのは本当に大した意味のない行為なのかな、と思った。
だから俺は理科を書くことにする!
理科には意味がある。理科を通してみればクリームシチューがザーメンの如くドロドロになるのは小麦粉に含まれるグルテンの熱変性とデンプンのアルファ化が掛け合わされた化学反応であるのは見て取れるし、人間がオナニーをして快楽を感じるのも脳内でドーパミンが放出されるためである、と簡単に説明できる。
クオリア?意識?魂?そんなものは存在しない。
少なくとも観測はされていない。
…第一無いと仮定しても何ら問題無い仮定なら、始めから無いと考えた方が簡単で分かりやすくて合理的である
何より理科がスゴイところは万人に共通であるところだ。スゴイというよりある意味不思議な所でもあるが。
音楽にしても絵画にしても芸術という、意識などその人の主観に訴えかけるものは、それを見たり聴いたりする人ごとに違う解釈や感情を持つ。
ところが科学は、こういう現象はこういう原理でこういう法則があてはまりこういう数式で証明できる、と非常に普遍的で客観的な説明が出来る。
科学は今ではこの世界のモデルを人の手で作ることを目的にされているから、そういう客観的な説明は出来て当たり前なのではあるが、俺はそれが好きで好きでたまらない。
もちろん量子論など原理的に我々では認識できない部分も存在するが、そういうのはいわば近似値と似たようなもので、本当の数値はわからなくてもそれに近い、それを予想するものを作れただけで十分なのだ。それらの解釈も人それぞれではあるがどれも証明には至らず、今起こっているその現象だけは科学として説明できる。これも近似値の類似品であろう。
確かにこの科学という偽りの神を妄信し、それだけが自信の原動力になっているとすれば俺はとんだ現代の原理主義者であると言えるだろう。
しかし!俺は右往左往する人生になるよりは、絶対に否定されない原理主義を選んでやる。