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さて遺伝子改良について我々はどういう考えを持つべきなのでしょうか。


そりゃ遺伝子いじくりまくって新人類つくった方が面白いに決まってる。無論です。


ま、研究機関が色々とオモシロイことをするというのはここでの問題にならないのですが(科学の為にはどんな事にも躊躇すべきでないため。自ら可能性を狭める必要は無い。)、問題はやはり遺伝子改良が一般的に行われるようになったとき、なんですね。


遺伝子が元ネタになって起こる病気ってのは沢山あります。着床した時点の卵子を調べ、それらの病気を引き起こす因子を持つ場合に降ろすとか、もしくは着床する以前の受精卵の遺伝子の因子を潰す。それらが今のところ遺伝子と医療に関する手法です。

受精卵の遺伝子をいじくるという点において、そういう技術が確立されれば問題は無いです。そのためには何百人何千人のガキどもが犠牲にならざるを得ないわけですが、それはどうでもいい。

デザイナーベイビーという言葉がある通り、病気を起こす因子を無くすことが出来るんなら、個人が持てる特定の要素(容姿や頭脳、才能など)を特化させることが出来るはずです。見た目かっこよくて秀才で運動も出来て芸術にも秀でる、そういう子供をデザインすることです。わかりやすいのは、男女を選んだり、とか。こういう言い方すると結構ありそうだよね。

病気の因子を潰すのは全く問題は無い。その手の病気は後になって長期間診療を受け続けなければならなくなったりするから、遺伝子をいじることで一発で治る(というかむしろ病気が現れもしない)のは非常に合理的です。

問題なのは後者、病気などとは関係ない、そのような要素を自分の子供に持たせることです。

この辺から俺の主張になってくるわけですが、一先ずヤバイのは「その子供」だと思います。親が特定の才能を持つガキを作っても、その才能というのは親が望んだのであって当事者である子供が望んだことではない、というのです。

この非常に微妙なギャップは様々な問題を起こす可能性を秘めています。子供がある才能を持っていたとしても、必ずその子供がその才能を生かせる趣味を持ったり仕事についたりするとは限らない。それに伴って、親は、子供の持つ可能性を狭める危険性が出てくる。つまりノエインの後藤ユウくんみたいなことになりかねないってことですね。それも後述のカネの問題が絡むと強烈になります。


えっと、もちろん遺伝子の異常による病気を無くすための遺伝子改良なら保険が効くわけです。しかし容姿や頭脳や才能に関する遺伝子改良にはききません。当たり前ですが。そんで遺伝子改良には恐らくものすごいカネがかかります。保険が効くのなら、一般的にもなりますが効かない場合、一部の金持ちの特権としてそういう技術が使われることになると思います。

それにより新しい「遺伝的貴族」の出現やら、他に様々な問題が浮上してくることは目に見えてるわけです。

また、容姿、頭脳、才能などを持っているグループが増える、というのは、遺伝的多様性を多かれ少なかれ小さくします。頭のいい奴がいて馬鹿がいて、かっこいい奴がいてそうでない奴がいて、それでいて初めてリスクを減らす事が出来るのです。

生まれてくる人間が普遍的に優れた頭脳を持っていた場合、経済や政治など大きな影響もありそうですが、そういうリスクは新たに生まれてくるわけです。



ま、とにかく俺はどんどんやるべきだと思うね。それが原因で人類滅亡ってのも面白いんじゃない?
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