空気
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医療崩壊とかナントカ色んな話を耳にするこの世の中ですが、本当にそんなにヤバイのでしょうか。
それはそれはヤバイです。
何がどうヤバイのかというと、まず医者が足りていない。数が少ないのではなく、病院が多すぎて医者がばらけてしまって一病院あたりの医者が不足している。まぁこれは某漫画でもあったから有名かな。
次に医者が減ってる。減る原因なんだけど、最近は訴訟が酷い。訴訟に関しては後述するけどこれは酷いの言葉に尽きる。産婦人科と小児科は元々人が少ない割りにそのリスクの高さとか、元々労働としてキツイことから、それらに入る人より辞める人のほうが多い。大体楽なのは歯科とか眼科とか耳鼻科とか…ね!
医者が足りなかったり減ってたりで起こりうる現象は、病院が患者を抱えられなくなること。緊急で運ばれてくるやつも、入院患者も、無理が出てくる。そりゃそうだ。
そんでやばめなのが、老人が増えてること。人間ってのは歳食うと労働力としての価値が消滅するかわりに、年金と高い医療費がついてくる。まじオススメ。これだよ。
今にも死にそうなヨロヨロのじじいに何百万何千万も医療費(国民の血税)を使って、何リットルも血液(親切な若者から抜き取った貴重な血液)をそりゃ死ぬほどぶち込んで、伸びる寿命は精々数ヶ月?か悪いと数週間か数日という実際のところあまりに悲惨過ぎる状況もあるでしょう。
そう極端なケースでなくても、結局老人を助けることにはたいした意味は存在しないのですよ。脳死も同様だけどね。
あと最後に訴訟なんだけど、これに関しては説明するとえらいことになるので紹介に留めますが、要するに寿命だろうが天命だろうがなんだろうが病院内で人が死んだら病院の責任にされるということです(民事関係のもあるんだけどどれあげたらいいかわからんからググってください。)
んで訴訟が起きる原因なんですが、どの新聞もテレビも、つまるところ何かが叩ければ面白くなるのでそりゃ儲かる仕組みになってるんですね。資本主義なので儲かるのが正義なのです。それはそれで非常に生物学的でよろしいのですが、残念ながら医療は生物学では説明しきれない行為なのです。病気は自然現象なので。
それに対する、病院がせざるえをえない策というのが、後述する個人の自由と死生観をぶちのめすものになるということが問題なのです。
ちょっと元記事がどこにあるのか忘れてしまったのですが、ちょっと前に病院内で食い物を喉に詰まらせて死んだ老人がいたのです。まぁ単純な事故ですが、それを遺族はちゃんと見ていなかった看護師が悪い、とこのように看護師を訴えたわけです。笑えます。患者は腐るほどいるのに一々そんなことしてられません。
それに対する策として一番有用なのは、胃嚢ですね。間違いなく。食い物なんかやらんで、どてっ腹に穴あけて養分を流し込むわけです。実にすばらしい。合理的ではないか。まぁそれが出来ないから、病室と研究室では少し違うというわけですね。
ジュネーブ宣言通り人命を優先するだけなら問題は無いはずなのだが…。退院したあと嚥下障害やらなんやら問題出そうだけど、病院の外で死んだとしてもしったこっちゃないしねぇまた担ぎ込まれたほうが金になるし。医療というものは理解できん。
まぁ結局のところ私が思うのは、もっと多くの人が死生観だとかそういう哲学を自分で構築すべき時代だと思うのですよ。宗教に頼るのも十分結構ですが(某学会とかエホバとかカルトは勘弁して欲しいけど)、なるべくなら自分でしっかり考えて欲しい。
大体死ぬことを悪いことだと思ってる人が多すぎる。それとは対照的に、明日自分にもそれがやってくる可能性があると、自覚している人は少ない。もしこれ読んでる人が明日死んだとしても「まさか自分が!」なんて言うだろ。まぁ確率的には低いのだけれども、ありえないことではない。
70歳とか80歳にもなれば遣り残してることも無いだろうし、未練だとかそういうのは多分無いと思う。だからそういう人は無理に助ける必要は無いと思うのだね。死に対する痛みとかストレスには対処するし、まぁ死にたくないならそれなりの処置は必要だろうけど、問題はどちらかというと死んだら死んだでそれをダシにする遺族になるかな多分。
80にもなれば一つや二つ病気持ってるのが普通だし、その歳にもなれば病気で死ぬのは自然現象の一つだと考えて全く問題無いと思うんだね。
それはそれはヤバイです。
何がどうヤバイのかというと、まず医者が足りていない。数が少ないのではなく、病院が多すぎて医者がばらけてしまって一病院あたりの医者が不足している。まぁこれは某漫画でもあったから有名かな。
次に医者が減ってる。減る原因なんだけど、最近は訴訟が酷い。訴訟に関しては後述するけどこれは酷いの言葉に尽きる。産婦人科と小児科は元々人が少ない割りにそのリスクの高さとか、元々労働としてキツイことから、それらに入る人より辞める人のほうが多い。大体楽なのは歯科とか眼科とか耳鼻科とか…ね!
医者が足りなかったり減ってたりで起こりうる現象は、病院が患者を抱えられなくなること。緊急で運ばれてくるやつも、入院患者も、無理が出てくる。そりゃそうだ。
そんでやばめなのが、老人が増えてること。人間ってのは歳食うと労働力としての価値が消滅するかわりに、年金と高い医療費がついてくる。まじオススメ。これだよ。
今にも死にそうなヨロヨロのじじいに何百万何千万も医療費(国民の血税)を使って、何リットルも血液(親切な若者から抜き取った貴重な血液)をそりゃ死ぬほどぶち込んで、伸びる寿命は精々数ヶ月?か悪いと数週間か数日という実際のところあまりに悲惨過ぎる状況もあるでしょう。
そう極端なケースでなくても、結局老人を助けることにはたいした意味は存在しないのですよ。脳死も同様だけどね。
あと最後に訴訟なんだけど、これに関しては説明するとえらいことになるので紹介に留めますが、要するに寿命だろうが天命だろうがなんだろうが病院内で人が死んだら病院の責任にされるということです(民事関係のもあるんだけどどれあげたらいいかわからんからググってください。)
んで訴訟が起きる原因なんですが、どの新聞もテレビも、つまるところ何かが叩ければ面白くなるのでそりゃ儲かる仕組みになってるんですね。資本主義なので儲かるのが正義なのです。それはそれで非常に生物学的でよろしいのですが、残念ながら医療は生物学では説明しきれない行為なのです。病気は自然現象なので。
それに対する、病院がせざるえをえない策というのが、後述する個人の自由と死生観をぶちのめすものになるということが問題なのです。
ちょっと元記事がどこにあるのか忘れてしまったのですが、ちょっと前に病院内で食い物を喉に詰まらせて死んだ老人がいたのです。まぁ単純な事故ですが、それを遺族はちゃんと見ていなかった看護師が悪い、とこのように看護師を訴えたわけです。笑えます。患者は腐るほどいるのに一々そんなことしてられません。
それに対する策として一番有用なのは、胃嚢ですね。間違いなく。食い物なんかやらんで、どてっ腹に穴あけて養分を流し込むわけです。実にすばらしい。合理的ではないか。まぁそれが出来ないから、病室と研究室では少し違うというわけですね。
ジュネーブ宣言通り人命を優先するだけなら問題は無いはずなのだが…。退院したあと嚥下障害やらなんやら問題出そうだけど、病院の外で死んだとしてもしったこっちゃないしねぇまた担ぎ込まれたほうが金になるし。医療というものは理解できん。
まぁ結局のところ私が思うのは、もっと多くの人が死生観だとかそういう哲学を自分で構築すべき時代だと思うのですよ。宗教に頼るのも十分結構ですが(某学会とかエホバとかカルトは勘弁して欲しいけど)、なるべくなら自分でしっかり考えて欲しい。
大体死ぬことを悪いことだと思ってる人が多すぎる。それとは対照的に、明日自分にもそれがやってくる可能性があると、自覚している人は少ない。もしこれ読んでる人が明日死んだとしても「まさか自分が!」なんて言うだろ。まぁ確率的には低いのだけれども、ありえないことではない。
70歳とか80歳にもなれば遣り残してることも無いだろうし、未練だとかそういうのは多分無いと思う。だからそういう人は無理に助ける必要は無いと思うのだね。死に対する痛みとかストレスには対処するし、まぁ死にたくないならそれなりの処置は必要だろうけど、問題はどちらかというと死んだら死んだでそれをダシにする遺族になるかな多分。
80にもなれば一つや二つ病気持ってるのが普通だし、その歳にもなれば病気で死ぬのは自然現象の一つだと考えて全く問題無いと思うんだね。
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